名誉会員卓話
地方病撲滅について・ご自身のロータリーについて
飯田 良直 名誉会員
かつて山梨県では、日本住血吸虫病という病気が広く蔓延し、大変な時代がありました。1996 年、今から 30 年前の 2 月に、流行終息宣言が出されました。かつて多くの方が亡くなられたこと、また、大勢の方々が協力し苦労を重ねてこられたこと。その経験と教訓を今後に生かしていただきたいという思いから、本日のお話をさせていただくことになりました。
日本住血吸虫病の歴史については『甲陽軍鑑』という江戸初期に刊行された書物に記述があることから、江戸初期にはすでに山梨県に地方病が存在していたことがうかがわれます。また、この病気の患者は、男性の方が女性より多かったとされております。
この病気の研究に関して、明治 14 年に非常にエポックメイキングな出来事がありました。杉山なかさんという高齢の女性が地方病にかかり、どうかこの病気を研究し治療に役立ててほしい、自分の体を解剖してもよい、と申し出たそうです。病原体の正体は長らく明らかではありませんでしたが、杉山なかさんの解剖が行われた結果、肝臓や胆嚢に病変が認められ、さらに胆嚢や十二指腸からおびただしい数の虫卵が発見されました。
その後、明治 42 年には、医師会を中心として地方病研究部が設立されました。この頃には、感染経路についても足の皮膚などからの経皮感染であることが明らかになっていきました。さらに、中間宿主の存在が想定され、その探索の結果、宮入博士によって発見された貝が、後に宮入貝と名付けられました。
では、なぜ日本住血吸虫病は収束することができたか。大きな理由の一つは、田に引かれていた細い水路の底をコンクリートで固めたことであります。そうすることで、中間宿主である宮入貝は泥がなくなって生息できず、その繁殖を抑えることができました。
もう一つは、県の職員が市町村ごとに配置され、徹底した指導と教育を行ったことであります。具体的には、糞便中の虫卵を死滅させること、中間宿主を発生させないこと、水や水田の病原体を除くこと、そして屋外で排便をしないこと、そうしたことを徹底したそうです。これらの対策は大きな成果を上げましたが、国から予算を確保する必要もあり、県職員の方々も大変な苦労をされたということです。
このように、県民の感染症対策の実効性を考えるうえでも、感染症対策の歴史とそこから得られた教訓を振り返ることには大きな意味があると思っております。
さて、私も当クラブの会長を務めたことがあります。そのとき、飯田さんがガバナーになられました。彼は、ガバナー訪問の際、原稿も持たず、その場その場でいつも違う挨拶を実に見事にされたそうです。飯田さんは、見事にその任を果たされたのだと思います。
当クラブにも優秀な方がたくさんおられます。会長やガバナーの資格のある方は、数多くおられると思います。ぜひ、第二、第三のガバナーを、このクラブから輩出していただきたいと思います。