ゲスト卓話

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オウムとの闘い(危機管理の立場から)第 80 代警視総監

 井上幸彦氏

 本日は、オウム真理教との闘いの中で警視総監という危機管理官庁のトップとして、どのような思いで、どのような形で事件の解決に当たったかをお話ししようと思います。

 オウム真理教は、教祖である麻原彰晃こと松本智津夫の考えで、クーデターまがいの実力行使でオウム王国を建設することを目指していました。そのための手段の一つがサリンの製造です。そこでサリンの威力を試すために発生したのが松本サリン事件です。

 そして松本智津夫は 3 月 20 日、地下鉄でサリンを撒けという指示を出します。10 時頃、霞ケ関駅の水たまりを分析したらサリンの反応が出て、このことを発表するかどうかの判断に迫られました。サリンが使用されたことは、真犯人しか知り得ない秘密ですから、本来は、真犯人に供述させなければなりません。発表したら真犯人でない者もサリンを使用したと供述するおそれがあります。しかし、私は、これは人命に関わる問題だから即発表すると答えました。

 今日は、危機管理についてお話しますが、サリン事件というのは、まさしく社会的な危機です。これを乗り切ることが私の使命でありました。

 従来は、警視庁のような大きな組織では、各部ごとに縦割りで職務を遂行していました。しかし、オウム真理教と闘う場合に、従来型の縦割りのやり方は不可である。危機を乗り切るには、トップにいかに情報を早く上げるか、部門がいかに情報を共有するかにかかっていました。だから、私と副総監、関係のある部長で構成された 5 者会議というものを設けて情報の一元化と共有化を図ることとしました。

 危機管理において要請されるのは情報の一元化と共有化ですが、同時に、いかにダメージを小さくしていくかが求められます。そのためにどうするか。フォローの風を吹かせ続けることです。アゲンストの風を吹かせたら駄目です。もし私がサリンの反応が出たことの発表を止めると発表を止めたことがすぐ明らかになり、人命を軽視したという批判が吹き荒れて捜査どころではなくなります。

 松本智津夫を逮捕したら、捜査責任の所在を明らかにするために、警視総監である私が記者会見を行おうと決めました。当日、私は松本智津夫を逮捕したと発表したわけですけれども、問題は、その後の質問への回答です。「彼らの手元にまだサリンがあるんですか。」という質問に対して、私が、「サリンはないものと判断するに至った。」と答えたら、一斉に記者が飛び出して行って、まもなく、警視総監が彼らの手元にサリンはないと言ったという報道がされました。私がサリンはないと回答したのは、正解でした。現場の責任者である私がサリンはないと信じた以上は、国民に安心してもらうためにサリンはないと言わなければならないと思いました。

 危機管理という場合には、フォローの風を吹かせていくことが大事です。もし私が保身に走ったらアゲンストの風が吹いてとんでもないことになったと思います。情報を一元化してトップに上げ、共有する、そして、いざという時は、世論を味方にするような方向でフォローの風を吹かせ続けるような対応をする。こうすれば危機管理というものは上手くできると思っています。我々警視庁は、国民の警視庁に寄せる期待と信頼を背に受けて闘った結果、失われた東京の治安を比較的短い期間のうちに回復することができたわけであります。